ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

ぐつぐつこつこつ

鍋が好きである。昨日も、夕食に食べた。

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大学生の頃は、冬になるといそいそと土鍋を取り出して(ひっそりとミッキーの焼き印が押されていた)、ひとり鍋を作っては食べていた。

一番好きなのは、きりたんぽ鍋。きりたんぽには、おもち寄りのもっちゃんもっちゃんした食感のものと、お米の粒が残ったようなほろっとした食感のものと二通りあるけれど、わたしは後者の方が好き。

基本的にはなんでももちもちしたものが好きなのだけれど、きりたんぽの醍醐味は、鶏の出汁がしみてほろっとほどける食感にあると思う。もっとも、最初に食べたのがそちらだったので、刷り込みのようなものかもしれない。

刷り込みについて考えるとき、だから年齢は関係ないんだな、と思う。

わたしが初めてきりたんぽを食べたのは21歳の時で、ほかにも最近になって初めてがあったことは、きちんとそれが本当に短時間で刷り込まれる。

 

さて、ひとりサイズの土鍋の場合、調理が鍋ひとつで済むというだけでなくて、そのまま食卓に鍋敷きを引いておいてしまえば、お皿のひとつも洗わなくて済む、というメリットもあって、秋から冬にかけては断然お鍋が多くなる。

でも、鍋が好き、と思うようになったのは、実は18歳の時からである。

実家にいた頃はお鍋が出てくると喜び、そしてその中がすき焼きの具材でなく、寄せ鍋のそれであるとわかると非常にがっかりした。

我が家はお鍋といえば、圧倒的に水炊きが主流だったので、お鍋というとほんとうに「あっさりの日」だったのである。

今であれば、唐突に「白菜……白菜と絹豆腐が食べたい…………」と帰りの電車でつぶやいたりすることもあるけれど、高校生までのわたしはこってり好きもいいところだったため、お鍋はすなわち、「外れの日」だった。

それが、ひとり暮らしを始めた途端、あっという間に大好物になった。

 

これはひとえに、ひとり暮らしによって訪れた、圧倒的な「野菜不足感」が原因だと思う。実際は、大学生の間はよく自炊をしていたし、野菜スープなんかも定期的に作っていたから足りていないわけではなかったと思う。

でも、ひとりでごはんを作り、食べるようになって、たとえばホウレンソウの白和えであったり、たとえばきんぴらごぼうであったり。そういう”常備薬”がまったく食卓に登場しないようになって、当時のわたしは、まあありていに言えば焦っていた。

この18年間、当たり前のように口にしていた”日々のちいさな野菜のおかず”が、めんどくささからなくなってしまった。これは困った。そう思った。

それで、その毎日のちいさな喪失を一気に穴埋めする機会として、とたんに「鍋」というものが”食べたいものランキング”の上位に君臨することになったのである。

 

それ以来、シャカイジンになってからはなおのこと、鍋好きが続いている。今年の夏、「野菜が食べたい症候群」にかかっていた恋人も、家ごはんで鍋が続く分には歓迎の模様。

ふたりして、こつこつと日常の野菜不足を補っている。

以前、”こつこつ”が、かわいそうなほどに苦手だ、と書いた。わたしはどうやら、食すらなかなか”こつこつ”できないみたいだ。まあそれでもいいか、と最近心底好きになってきたお鍋を食べながら思う冬である。