ちょっと早い2014年の話
12月1日。晴れて、師走である。
気づいたら、12月になっていて、そりゃあ11月30日の次の日は、12月1日に決まっているのだけれど、「もうですかそうですか」と、思わず切り替わったカレンダーの絵柄を見て呆然としてしまった。
2013年という数字に結局慣れないまま、2013年が終わってしまう。
これは2011年からずっと続いていた現象だけれど、それにしても、今年は慣れなさすぎた。
ほぼ2012年の延長のような気持ちで過ごして、気づいたらもう2013年は残り1ヵ月である。
もっとも、2013年には、いろいろと変化もあった。
ずっと毛嫌いしていたカードを何枚か持つようになったし、「人間らしい生活」を、仕事を言い訳にしないで、(少しは)平日からするようになったし*1、去年一年、精神的におんぶにだっこ状態だった恋人との関係も、だいぶ付き合い始めたころに戻ってきた。
他にも、もろもろ、オンオフでいろんなことがあった。
その中には、むしろ、これまでよりも大きな変化もたくさんあって、おそらく、後々振り返ればひとつの「ターニング・ポイント」のような年になるのかもしれない。
でも、なんとなく、現在進行形の感触としては、2013年は「気を張っている間にするっと終わってしまった年」という感が強い。
あれまあ、と拍子抜けする気持ちが半分。それから、まあまあ、とほっとする気持ちが半分。
とはいえ、これまでのように、この一年で、何かをクリアした&達成したわけではないけれど、2013年はたしかに、わたしの人生に必要な年だった。
人生において、意外にも、わたしは「ていねいに生活すること」をいちばん大事にしたいと思っているということが、くっきりとわかった一年。2012年に「ちゃんと生活できなかったこと」が、実はすごくストレスだったみたいである。
そういうことを、久々にこの本を読みながら、改めて考えた。
「女優のエッセイ」とは思えない地味さ(失礼!)で、読むたびに品のいい女友達の日記を読んでいるような気分になる、石田ゆり子さん2冊目のエッセイ。
この本を読む限り、バイオハザードの新作の発売日以外は、きわめてシンプルな生活を送ってらして、それがとてもていねいで美しい。
窓を開けて、水を飲んで、お湯をわかして、洗濯をして。
残りの1ヵ月、夜の予定も多くなりそうだけれど、そういう、今年少しずつ取り戻してきた「生活の勘」を忘れずに、2014年を迎えたい。
*1:たとえば、コップのひとつでさえ、去年のわたしは疲れすぎていて&仕事をしているということを免罪符にして、平日の夜に洗うことがなかった