Rabbit, rabbit!
8月最初の一日。
朝からパッとしない出だしで、夜には、今年買ったばかりのグラスを割った。まったくもって、パッとしない。
背の高いシンプルなグラス。丈夫そうだったのに、びっくりするくらいかんたんに割れた。
100均のものなので、値段という意味においてはそうショックではないのだけど、休日にしか使わなかったグラスなので、思い出の分だけ悲しい。
この春、家で甘くて冷たい飲み物を飲めたのは、このグラスを買って帰った思わぬ効用だったのに。
いちばん多かったのは、水飴で甘みをつけたカフェ・オ・レ。
電動泡立て器を使うことを厭わない恋人のおかげで、なんだかやたら甘やかされた飲み物が、頻繁に登場した。
もうあれ、ゴールデンウィークのころなのか。5月がずいぶんと遠くに感じる。
わざわざ板チョコを削ったり、だんだん凝り始めていたところだったのに。
余った生クリームとカステラとフルーツで、トライフルを作ったりもした。なつかしい。
たっぷりした高さがあって、休日の朝にミルクやオレンジジュースを入れると、なかなか飲みきれなかった。
家で過ごす午後を華やかなものに変えてくれるときには、その分、その魔法が長続きするのがうれしかったっけ。
夏はもっと頻繁にしよう! と思っていたのに、残念。
珍しく平日に水を飲むのに使って、お代わりをしようとウォーターサーバーで注いだら、ふっと手元から力が抜けて、ぱりんっと。落ち込む。
だいだい2つ同じものを買った食器はどちらかを割ってしまうのだけれど、これを割るとは思ってなかっただけにショック。
はー。
なんだか最近ずっと疲れているせいかもしれない。たっぷり寝てはいるのだけど……。
喉が痛くなるからクーラーをこまめに消しているのが、喉以外の体を痛めつけている気がする。
でも、喉が痛いのがいちばん辛いからなぁ。はあああああ。
ショックを紛らわすように、非日常的な本を一気読みしたので、そろそろもう寝よう。こんなときには、俄然ミステリーが効く。
飽きずに森博嗣作品の再読を進めていて、Vシリーズから1冊を。
落ち込んでいるのにも飽きた、真夜中の5分前。
はじめてのホールケーキ
週末のおやつ。
チョコレートを買って帰ったらキットカットがよかった、という夢を見たといわれて、ほんとうに買ってきたキットカットは冷蔵庫に。
自分用に買ったのは、ふわふわのスフレチーズケーキ。
久しぶりのフォルムがなつかしくて、ぱしゃぱしゃ写真を撮っていたら、「それなあに」と見つかって、半分こをすることになった。
今年買ってたいへん重宝しているブラックのつや消しのデザートフォークで。
チーズケーキには、ブームがある。
子どもの頃はグラハムを敷いたどっしりなのに中がとろりとしたベイクドチーズケーキが好きだったけど、10代半ばで断然レアチーズ派になり、20代でまたベイクド派に戻ってきたところ。
その中で、特にすごく好きなわけではないのに、何年かに一回思い出したように食べるのが、スフレチーズケーキだった。
これもかなりしばらくぶり、のはず。
もう今はないようなのだけれど、昔、地元で通っていた塾の隣に、よしろーおじさんのチーズケーキというお店があった。
500円でホールが買えるというのが、学生だったわれわれにはうれしくて、夏期講習や冬季講習の後には、お土産とご褒美に買って帰ったことを覚えている。
それが、はじめて自分のお金でホールケーキを買った思い出。
大阪にあるりくろーおじさんのチーズケーキとの関係は、今となってはよくわからない。真似しちゃってたのかな?
というわけで、スフレチーズケーキは、なんとなくわたしにとって「大人の階段」の味がする。
ほわほわとどこまでもやさしい口当たりは、いっそ子どもっぽいのに。
しゅわしゅわ噛みしめる前になくなってしまうはかなさと、ケーキにしてはずいぶんそっけない堅実なビジュアルの落差が面白い。
ケーキのお供は、山ぶどうの赤ワインだった。
あまりに濃くて甘いので、サングリアみたいに氷で割って飲んでいる。
ちらりとレモンまで入れて。
マグカップとバタービールのジョッキがとってもかわいかったのだけれど、持ってない形態のカップを、ということでこれにした。
遊び疲れて帰ったホテルで、20代最後のお酒を飲んだときのきーんと冷えたおいしさに一瞬で虜になり、それ以来、家でお酒を飲むときはこれだ。
それしても、ハリーポッターを夢中で読んでいた頃に、わたしははじめてケーキをホールで買ったんだなあ。
人生はあまりに地続きで、ときどき記憶の中の景色の遠さに、驚いてしまう。
それはまるでマシマロ風味
旅行記に疲れて来たので、唐突に日常の記録を。
結局、たいそうのんびりした土日になった。イレギュラーといえば、鰻を食べたことと、連日わりと早起きをしたことくらい。
ほぼずっと、リビングの大きなソファーで過ごした。
朝開けたマシュマロは、次の日曜日までに食べ切らなくてはいけないので、惜しみなくカフェオレにも浮かべてみたり。
これがすごくおいしかった!
封を開けた牛乳は、先日、100均で見つけたMilkボトルに。
使ってみてはじめて、カラーでサイズが違うことに気づいた。ピンクの方が一回り大きかったのね。ブルー2本だとギリギリだったかも。
私は封を切った紙パックの飲み物が宵越しになるのが苦手で、それで牛乳をしばしばダメにするので、こまめに密封できる容器にちゃんとうつしかえようかと。
今日は、たくさん飲んだウォーターサーバーのお水も交換して、なんだかせっせと飲み物環境を整えた一日だった。
ところで、このマシュマロはけっこうすごい。
ひとつを6つに割いても十二分に大きくて、ビスケットからこぼれおちてしまうやわらかさ。
焼いてビスケットと食べるのもおいしかったけれど、個人的はあたたかい飲み物に溶かすのがベストかもしれない。
絶妙なふわとろ感と感じのいい甘さが広がる。でも、イメージフォトをならってココアに落とすなら、ほとんど甘くないのじゃないとちょっとくどそうかなあ。
夕方にチーズとベーコンのグリルも、もう一回作ってつまむ。
今日はだらだらつまんでいたせいで、晩ごはんは昨日作ってほとんど食べなかったナス味噌炒めだけ温め直して終わりにした。
もうほとんど風邪は治ったらしい恋人が、せっせとゲームを進める横で、わたしはざくざくと読了のタワーを積み上げていく。
日が暮れたらカーテンを閉め、ゆるくかけられるようになったクーラーの恩恵を存分に感じながら、ひたすらだらだら。
これで、S&Mの再読リレーは完走だ。
なんとも自堕落な日曜日。
もっとも、朝働いた名残で、今日はお手洗いに立つ度に洗濯物を干している部屋からきちんと働いた香りもするから、心安らかなのかもしれない。
いつも使っているボールドが切れていたので、はじめて使うトップ。
明らかによそのお家の洗濯物の匂いがして、通る度にそわそわする。はたしてこちらがなしくずし的に我が家のお洗濯の匂いになるのかな?
こまめに食器も片付けたいたので、キッチンもわりときれい。
過ごしていても、綴っていても、日常というのはほっとやわらかいマシマロ風味だ。軟弱なくらいの甘さとやらかさが、わたしはやっぱりとても好き。
もういつ寝てもいいのだけれど、二人してお行儀悪く、日曜日に居座っている。
川を渡って
長々と続いている京都記。
鯛茶漬けが食べられたらそれでいいや、という姿勢が嘘のように、意外といろいろなことをしていたみたいだ。「ぜったいにしたいこと」がたくさんなかった分、混んでいるところはパスをして、するするといろんなところを巡れたせいかも。
あの三連休は、後半の方が盛りだくさんだったので、キリのいいところまでで初日の京都編は切り上げようと思うのに、なかなか書き終わらない。
というわけで、竹林を堪能した後、大きな流れを逆流して進むと、難なく嵐山のメイン通りに辿り着いた。
たくさんお店が構えられていて、道の作りがまずにぎやか。
涼と塩分を求めて入った梅干し屋さんでたくさん試食をさせてもらい、帰り道で買うことを決意して、いざ渡月橋へ。
道中、浴衣を着ている女の子とたくさんすれ違う。
以前京都に来たときには、いわゆるモテ浴衣的なものが圧倒的に多かったのだけれど、今はちがうんだなあ。ぱきっとした派手な色がだんぜん多くて、たぶん、インスタ映えするからだと思う。
辿り着いた橋は、見事なものだった。
といいつつ、ほとんど橋自体の写真がないのだけれども。というのも、早々に川に降りてしまったから。
脚を浸して川辺に座ると、ひんやりと冷たくて気持ちいい。対岸がものすごく遠くて、ちょっと浮世離れした川だ。
だいたい海と川は年中いつだって行きたい場所だけれど、こんなにすこーんと抜けるように明るい川辺なんて、なかなかなくて、橋から見下ろしているだけでうれしくなってしまった。
意外にも川辺にまで降りられるようだったので、そそくさと橋を降り、水際に近づく。いい大人のすることではないんだけど、いい大人になったからこそしたいこともあるわけで。
スニーカーを脱いで、ソックスを脱いで、川の流れに脚を浸したときの爽快感!
あんまりにも暑い日だったので、水面から出した瞬間に、濡れた肌は高速で乾いて行く。もっとも、太陽は水に浸かっていないところにさんさんとふりかかっているわけで、なかなか長居はできないコンディション。
それでも、ずいぶんねばってのんびりと橋を見上げ、川を眺める。
話しやすいも話しにくいも、もはやない関係だけれど、こうして水の近くに並んで座っている瞬間がいちばん、なんでも言える気がするせいかもしれない。
話してもいいし、話さなくてもいい。話したことはそばから、さらさらと水に流れていくと思うと、どんなことでも打ち明けられる気がする。
もっともこのときはたいしたことのない話ばかりしていて、もはや会話の内容を覚えていないくらい。
15分ほど経って満足したので、熱中症になる前にと腰をあげたときには、少しだけ教徒が親しい場所に思えた。
遠く見えた対岸まで橋を渡って行くことに。
橋の上で写真を撮りながら、そういえば、この通り、見たことがあるなあと今更ながら気づく。たぶん、大学生のときに来たことがあるのだ。しばらく行くと足湯がある小さな駅があるんだっけ……とするすると思い出す。
あのときには、修学旅行のシーズンに当たったのか、今回よりもずっと混んでいた。
橋を渡るとふたたびくったりしてしまい(ほんとうに暑い日だった)、もう大人なので自分たちを最適に甘やかして、すぐに目についた甘味処に。
ぜったいに途中で飽きるので、誰かといっしょじゃないと頼まないかき氷があまりにおいしそうで真剣に悩む。
でも、せっかく京都に来たのでここはぜひ、なにか抹茶を摂取したいという欲が勝り、かき氷1個、抹茶ミルク1杯をそれぞれオーダーしてシェア、という形に最終的には落ち着いた。
結果的にはこの後、抹茶は選択肢にないお店ばかりになったので、いい選択だったと思う。
半分うとうとしながら、冷たいものを堪能して、この後の計画を立てる。
だいたい私が木屋町のバーに行きたいなどと行っていたので、早めに嵐山から引き揚げる予定だったのだけれど、だんだんとこちらでのんびりしているのが楽しくなったので、それは次回にすることに。
それならということで、調べてちょっと気になっていた、銭湯をリノベーションしたカフェを目指して、もう少しぶらぶらしてみることにした。
たっぷり涼んで表に出ると、ようやく午後4時。
それにしても、写真を見返すと人が写り込んでいるものが少なくて、やっぱりこの日の嵐山は空いていたんだなあと思う。
一日がほんとうに長い。まだまだなんでもできる、と思いながら来た道を戻る。
果たして、記憶の中の「足湯のある駅」は嵐電の嵐山駅だった。この駅は、まだ日が明るいうちからお祭りの夜のような空気でたのしい。
エクストラコールドが売られているのを見て、そういえば今日はまだ1滴もアルコールを摂取してないね、と言い合う。だいたい旅といえば、水辺でアルコールを摂取していることが多いのでたしかに珍しい。
こんなに暑いと飲みたくなるお酒は断然ビールなのだけれど、京都とビールという組み合わせがあんまりしっくりこなかったせいかもしれない。
この駅で、恋人は結局、ビールではなく金魚の柄の手ぬぐいを買っていた。京都らしさが優先されたらしい。
ずっと道なりに戻って、先ほどのお店で梅干しを買い、嵐山最後の目的地に向かう。
美女と竹林
午後1時半ごろ。鯛茶漬けを完食して、煌々と明るい表に出た。
もうこれで京都に来た目的はほぼ100%クリアして、ミッションコンプリートなわけだけれど、このまま嵐山を後にするのももったいないので、しばらくぷらぷらすることに。
そうだそうだ、竹林も見ないといけないしね、ということで道なりに歩き出す。
大通りとは逆の方に向かったせいなのか、思ったよりも人通りがなくて、ちょっと不安になりながらも進むと、突如、雑然とした竹林がぽんっと目の前に。進んでいく人よりも、こちらへ戻ってくる人の方が多いなあ、と気にしながらも更に進む。
不安なときに引き返すタイプと、とりあえず先に進んでみるタイプとがあると思うのだけれど、わたしはだいたい進む側だ。
しばらく歩くと、たくさんの観光名所の方角を表した立て看板が十字路に現れ、その中でいちばん人通りの少なそうな道を選ぶ。
5分ほど歩いた道の角に、かわいらしい建物が見えた。
十分ほどゆっくり店内を眺めて、野菜ジャムにたいそう惹かれたのだけれど、この後嵐山を練り歩くことを考えるとまだ瓶は買う勇気が出ず、何も買わずにお店を後にする。
だいたい旅行先では、荷物になるものばかりお土産に欲しくなる性質で、その癖、荷物が重くなるのが何よりも嫌いなのだから、欲望と言うのは上手くできてない。今回の旅でも「いっそ送ろうか」と何度も思ってそれが購入のブレーキになった。
スモールライトが手に入ったら、きっとわたしは旅先で大変な散財をすると思う。
このあたりでぽつぽつと同じく観光に来ている人が現れて、通りのさみしさがふっと消えていく。あまりによく晴れているせいか、京都という土地柄のせいか、人がいなさすぎると、神隠しがあったみたいでちょっとこわい。
お店を出て数分歩くと、突然びっくりするほど視界が開けた。
青すぎる空に、白すぎる雲、そして書き割りのような緑。どこまでもにぎやかなのに、なんだかやっぱり人が存在しない静けさがある。
こういう開け方って、乗り物に乗っているとき特有のものだと思っていたので、歩くスピードでいきなりこうなると結構びっくりした。
そして、なぜか反射的に「奈良だ」と思う。なんというか、古墳だ、と。
そのときにはわからなかったけれど、たぶんこの本のカバーの刷り込みかな。ひょんなことからほとんど知らない女と、奈良に女二人旅行をすることになる話。
左手には、控えめに、でも途切れることなく、背の低い建物が建っていて、その対比も物語じみていた。
面白いなあ。
神社やお寺をふらふら眺めつつ、当初の目的である竹林ってこんなものなのかしら、と首を傾げながら進む。一度ぐるりと回って、先ほどの立て看板のところまで戻ってくると、「渡月橋」という表記に、それを目指して進むことに。
これはこれで聖地巡礼めいている、と思いながら。
もっとも、このミーハーな判断は結果的には吉と出た。歩いて行くにつれ、どんどん人通りが激しくなっていく。といっても、すれ違う人の数がぐんぐん増えていく、といった意味でだけれど。
つまり、われわれはいわゆる観光の順路を逆流していたわけなのだった。
そんなわけで、竹林の前にトロッコに辿り着いてしまうはめに。嵐山のトロッコ乗り場はたいそうにぎわっていた。3連休だからこれくらい人はいてほしいよね、というにぎやかさ。
万が一乗れたら乗ってしまおう、と思ってみたチケットは、1時間後の便まで満席だった。
諦めよく、ラムネだけ飲んでゆるやかな坂を下りることに。
それにしても、去年から脱水症に怯えているので、この旅行はともかくたっぷり水分をとった旅だったなあ。この前にも自動販売機でミネラルウォーターを買って、ここに着くまでにほぼ飲みきっていた。
ゆっくり下っていくと、ようやく想像と違わない竹林が現れる。
そこだけ温度が2、3℃低そうな清涼な空気。
歩いて堪能できるよう順路ができていて、それをゆっくりとめぐった。どこで写真を撮ってもほぼ同じ仕上がりになるせいか、一度写真を撮るとそれでおしまいの人が多くて、人がたくさんいても意外にストレスなく進める。
もっとも、覚悟していたよりもずっと少なくて、ちょっとびっくりしたくらい。
少し先(ふつうだと手前?)には、人力車専用の竹林もあり、そちらの方も適度に余裕がありそうだった。混んでいるとアトラクション並みに人力車がつながってしまいそうだなあ。
これは、帰りの電車の中でようやく気付いたことなのだけれど、この日は祇園祭の一夜なのだった。
そりゃあ、天下の嵐山も、いつもより人が少ないわけだ……。
妙にいいタイミングで訪れたせいで、数年前に京都旅行をした際の「ともかく混んでいて、めちゃめちゃ暑い」というイメージが良き方に更新された2017年の夏だった。
鯛茶漬けは嵐山で
というわけで、のんびり京都駅で朝を過ごした後、ようやくお目当ての鯛茶漬け目指して嵐山へ。
駅に着くと、この道? とびっくりするような細い道を、人がどんどん進んでいく。その後ろを辿っていくと急に道が開けて、右手に短い列が見えた。HANANA*1というお店。
人力車のお兄さんたちが、お店の前を通るたびに「こちらは有名な鯛茶漬け屋さんで、こうしてお昼時には行列ができるんですよー」と言って去っていく。
短いと思ったのは、外に出ている列が全体の半分くらいだったせいで、暖簾をくぐってからもう少し列が続いている。暖簾をくぐるとベンチがあるし、日陰になるので、待つのはさほど苦ではなかった。
外で待つのが長いと、さすがにこの時期は熱中症になりそう。わたしはあんまり好きじゃないのだけれど、日傘と扇子を持っていてよかったな、と何度も思う。
30分ほど待って、店内へ。
入ってみて、早速びっくりする。店内はかなりゆったりした席配置になっていて、たぶん東京なら1.5倍の席を設けるのでは……というスペース感。変な話だけれど、「京都に来たのだなあ」とその瞬間にしみじみ実感した。
鯛茶漬けは、きれいな御膳で出てくる。
それぞれは小皿に載っているのだけれど、ごはんがおひつで出てくるので、かなりのボリューム。お野菜がものすごくおいしかった。五臓六腑に染みわたる薄味に歓喜。
たっぷりの香の物も、すっとした味で変なしょっぱさがない。お漬物好きなら、これだけでごはんが進んでしまいそう。
最初の一杯は、たっぷり胡麻がまぶされたタレは控えめにかけ、薄造りと白いごはんといっしょに食べて、お刺身定食気分を味わい、次にじっくりタレに浸かったものを漬け丼のようにして二杯目を。
ごはんは、あくまで軽くよそうのがキモだと思う。お茶碗に六分目くらい。そうじゃないと、野菜にボリュームがあるので、なかなかお茶漬けまで辿り着けない気がする。
この上に、更にすり胡麻をたっぷりと載せることもできて、好みの味にアレンジできるのも楽しい。
わたしは、ちょっと追加した方が好きだった。香りが立って、風味が増す気がして。
昔から鯛のお刺身は好きだったけれど、こういう食べ方は地元ではしなかったので、何度食べても新鮮に感じる。
もともと漬けが好きなので、わたしはいちばんこの段階が好きかも、と思いながら二杯目をたいらげ、三杯目でようやく念願の鯛茶漬けを作る。
先ほどまでより更に、気持ち少な目のごはんに、数枚お刺身をのっけて、タレもしっかりめに流し入れる。熱々の煎茶をたっぷりかけて、最後にちょっとだけわさびを落として。
うーーーーーーーーーーーーーーーーん!
やっぱりお茶漬けがいちばんかも、とすぐに宗旨替えしたくなる味。
やわらかいお刺身にすぐに火が通って、それがほろほろとかきこむたびに崩れていく。こんな贅沢なお茶漬けを食べていいのかしら、と罪深い気持ちになるのは、味もだし、店内のしごくゆったりした雰囲気の相乗効果だと思う。
大きな窓からはまっすぐ生えた緑が目に鮮やかで、最後の一杯を何で食べるか思案しているときにようやく、あ、竹林だ、と気づいた。
悩んだ末に、初志貫徹で、最後の一杯はお茶漬けにすることに。
ちなみに、ごはんはおかわりできると聞いて意気込んでいたのだけれど、ちっともそこまで辿り着ける気配がなかった。お茶漬けを2杯もすすると、かなりおなかがいっぱいになる。当たり前か。
もうこれ以上、何も入らない……とお茶のおかわりをお願いしたら、熱いお茶と共にデザートが出て来た。
これがほんとうにとろける口当たりで!
入らない入らないと言いながら、するする完食してしまう。和菓子はあまり得意じゃないのだけれど、とても美味しかった。
あんまりのんびりしているのもなあ、と思い、その後はするっと席を立ったのだけれど、お昼の一時前という時間のせいか、お店を出るとさっき並んでいたときの比ではない行列ができていた。
子どもの頃、祖父母と食事に行くと決まって、お刺身が2種類出てきて、それがはまちと鯛だった。はまちは妹の好物で、鯛はわたしの好物。
当時、たくさん食べ過ぎたせいか、それとも東京だと地元ほどおいしい鯛をなかなか気軽には食べられないせいか、上京してからは「ふつうに好きなネタ」に成り下がっていたのだけれど、十年ぶりに、「一番好きなお刺身」に鯛が返り咲いた京都のごちそうだった。
腹ごしらえをして並ぶ価値がある三杯だったなぁ。普通の土日であれば、予約できる日もあるみたいなので、いつかまたふらりと食べに行こう。
ごちそうさまでした。
コーヒ、クリームソーダ、そしてレモンパイ
この間、京都まで鯛茶漬けを食べに出かけた。
もうちょっと他に書きようがある気がするのだけれど、実際のところ、もともと決まっていた予定は「京都で鯛茶漬けを食べる」だけだったので、それ以外にあの旅行の正確な記録のしようがない。
もともとは、大阪旅行の予定で、でも3連休ずっと大阪というのももったいないかなぁという理由で、京都までふらりと遊びに行くことになったのだ。
しかも、マイルで飛行機を取った後にバタバタと決まったので、大阪から京都に入るというちょっとした無駄手間までかけて。移動に関していうと、それが長距離であればあるほど苦にならないというのは、あってよかったと思う共通点のひとつかもしれない。
マイルで取った上に、クラスJだったので、今更新幹線に変えるという選択肢はなく。
そもそもせっかくなら、と行きはかなり早い便を取っていたので、いっそのこといちばん元気な(たぶん)初日に大移動をしようということに。
夏休みだ! と浮かれて大きな予定を立てるのは久しぶりで、その時点で既に心愉しい。
もっとも、当日の朝は大わらわだった。
働きづめの金曜日の夜、ぐったりと泥のように眠って翌朝、早起きする作戦がこんなときの常でまったく眠れず。だいたい、わたしは遠足の前の日にはぐずぐずと眠れずに起きている子どもだったのだ。
それならいっそ起きていて飛行機の中で寝よう、と思った3時過ぎに結局すっと眠ってしまい、数時間で起きてあわてて空港へ向かった。
久しぶりにターミナルに着いて走ったなあ。あとちょっと躊躇していれば乗り過ごしていたので、席に着いたときにはぐったりしていた。
とはいえ、窓際を譲ってもらった効果もあり、いよいよ旅行気分が高まってくる。楽しい用事で飛行機に乗るのは、ずいぶん久しぶりだと気付く。
すっかり汗が引いたあたりで、あたたかいコンソメスープをもらい、ブランケットを顎までかぶって、しばし爆睡。音楽も聞かず、本も読まず。でも、そもそもこの空の旅はあっという間なのだった。
ふだん飛行機で大阪に行くことなんてほぼないので、なんだか別の場所に行くみたいで面白い。
伊丹空港に降り立っても、まだ9時前。空はピカピカで、人のいない空港は田舎の夏休みの匂いがする。
色々ルートはあったけれどここは楽ちん移動を徹底すべく、空港から京都駅までのリムジンバスのチケットを買った。電車より少し時間はかかるようだけれど、眠っていけるし、バスの窓から見る風景が懐かしくて悪くない。
このあたりで、「これってしかし、ほぼ水曜どうでしょうでは」という感想がお互いの口をついて出る。
ラッキーなことに並んで座れたので、またしばしまったりと窓を眺めるタイムに突入。車窓からは、すぐに太陽の塔が見えた。はじめて見る気がする本物が、のんびりとしたスピードで見切れていく。
この像を見たことで、ほんとうに特に予定のなかった京都旅行は、少し性格を変えることに。「森見さん作品の聖地巡礼っぽいことをしたいです」と、わたしが突如思いついたのだった。
どう考えても、木屋町や鴨川のあたりをめぐるべきなのはわかりつつ、今日めざす鯛茶漬け屋さんが嵐山だと聞いて、すぐに計画を変更する。
「竹林を見に行きます」
あのエッセイ(?)が、とても好きなのだ。歯ごたえのあるケーキと、机上の竹林と、なかなか出てこない美女。それに、うだるような暑さを思うと、竹林というのはこの季節の京都で唯一の目指すべき場所に思えた。
合意を得られたところでまた少し睡眠。うたたねをして目覚めたら、もう京都駅だった。
この駅! 妙に近代的なこの駅がなんだかファンタジックで、ここに来る度に、「外国人が期待する日本」が京都には凝縮されているなあ、と思う。
京都駅の向かい側でバスからは降ろされるので、とりあえず大通りを渡って、駅へ。10時を少し過ぎたところで、お店はどれもしっかり開いている。
日焼け止めだけ買ってすぐに嵐山に向かおうかなと思ったけれど、あまりにも空腹でとりあえずこちらで何か食べていくことにした。
ごはんを食べに行くのに腹ごしらえというのも妙な話なものの、並ぶかもしれないことを考えると丸腰で行くのも不安かな、と。お昼時分には、ずいぶんと並ぶみたいなので。
いろいろと京都らしいお店があるので迷いつつ、最近、喫茶店が気になっているので、朝ごはんはイノダコーヒでとることに。
まわりはモーニングを頼んでいる人ばかりの中、ショーケースで一目ぼれしたレモンパイと、朝とはいえもう暑いくらいだったのでアイスコーヒー、そして喫茶店の花形、クリームソーダ! という欲望のままのラインナップをオーダー。
朝から完全に喫茶メニューで、むしろ喫茶店の中で浮いている。
隣には新聞を読む年配の女性が座っていたり、がやがやした京都駅の中で、明るいけれどどこか落ち着いた雰囲気だ。
まずは、アイスコーヒーが到着。
汗をかき始めた背の高いグラスにたっぷり入っている。オーダーの際に、「ミルクとシロップはこちらでお入れしてもいいですか?」と訊かれて、ミルクだけ断ったのだけれど、飲んでいるうちに冷えてきたので、入れてもらってもよかったかなあ。
給食の副作用で、わたしは暑いときに牛乳が飲めない体になってしまったので、少しでも汗をかいているとコーヒーに入っている牛乳さえ嫌になってしまう。
ほんとうはミルクとシロップを両方入れた方がおいしいらしい、というのは今調べて知った。次はもう少し涼しい季節に行って、ミルクも断らないで飲んでみよう。
氷が入っているのにぜんぜん味が薄まらず、でも飲み始めがぐっと濃いわけでもなく……なんだかふしぎなアイスコーヒーだった。とてもおいしかったのに、旅の始めなのでコーヒー豆を買えなかったのがちょっと残念。
それでなくても、ふだんからできるだけ少ない荷物で生きていきたいと思っているわたしにしては、法外な大荷物で移動していたのだ。
しばらく待っていると、クリームソーダとレモンパイがいっしょにやってきた。
レモンパイはたっぷりとしたサイズなので、2人で分けるくらいがちょうどいいかもしれない。
とても端正でクラシックなレモンパイ。こんもりしたメレンゲの下に、レモン風味のカスタードクリームがふんわりとつまっている。
しっかり酸味はあるのに、尖ったところの一切ない味で、メレンゲの上につけられた焼き目もぎゅっと味が詰まっていておいしい。しゅわしゅわと一口食べるたびに口の中で溶けるのに、満足感がある。
そしてクリームソーダも、とてもとてもクラシックな佇まい。いろんな色のソーダに浮かべたフロートの方が甘すぎなくて好きだけれど、やっぱりこの配色がいちばんテンションが上がる。
イノダコーヒのロゴが赤なのも、そこに花を添えている感じ。
数年ぶりのクリームソーダは、ノスタルジィをそのまま飲み込んでいるような味がする。バニラアイスが溶けていくたびに、ゆるりとやわらかい味にソーダが変わっていくのが面白い。
思っていたよりも甘さは抑え目で、その毒々しい色とのギャップに首を捻りながら、わたしは何度も「ひとくちちょうだい」を繰り返した。
ゆっくり時間をかけて腹ごしらえをして、JR山陰本線を目指し、広い京都駅の中を練り歩く。
あたりには我々と同じように、今日、夏休みを始めたような人々があふれていて、人ごみはそう得意ではないなりに、その浮かれた空気に気分が高揚してきた。
ホームに積み上げられた大きな荷物も、子どもを呼ぶお母さんの高い声も、自分も夏休みだととてもたのしい。
ホームに着いた時には、11時までもう少しという頃合いだった。電車に乗っている時間は15分もないらしいので、着いたらすぐにお昼ごはんということになる。これなら少し並んでもいいな、と思いながら短い電車に乗り込む。
というわけで、さて、いざ嵐山へ。