海賊のいる夏
先日のこと。
活動的な土曜日。朝一番の回の映画を観に。公開初日の初回に映画を観るなんて、いつの何以来だろう? お久しぶりねのPOTC。
遅刻ギリギリになってしまい、ばたばたと駆けこんだ劇場の入口で、受け付けの際にチケットの半券以上のものが返ってきて、そういえば、映画って早期来場者特典とかやってるんだよなあ、ということを思い出したりした。
小さなクリアファイルと中にはポストカードが2枚。1枚はPOTCの本ポスターで、もう1枚は宣伝用の別作品のものだった。
こうして見ると、先日久しぶりにTVで観た1のジャックは、たしかに目元周りのお化粧が薄かったんだなあ。
映画の具体的な感想はネタバレになるので控えるけれど、ものすごく第1作目のファンを意識して作ったんだろうなあという感じ。ところどころオマージュっぽいシーンもあったりして心愉しい。
1~3のPOTCが好きだった層へ向けてあの頃のPOTCをもう一度、という心意気がビシバシ伝わってくる。
わたしは根っからの懐古主義者なので、おおむね大変楽しく観た。
本題に入るまでがとってもとっても長いので、単純に映画の作りとしては、ちょっとどうかなあと思うところもあったけど。そこも含めてファンサービスのためという感じはする。
それからウィル・ターナー偏愛家としては、ほぼ何の活躍もしないのでそこはかなりさびしい。新しい時代に新しいPOTCをという趣旨の企画ならいいのだけれど、めちゃめちゃオリジナル至上主義感あふれる企画だったので、せめてもう少し出してほしかった…。
まあ、この本ポスターに嘘偽りのない内容ではある。観終わった後だと、バルボッサはもっともっと大きくてもいいのでは、というくらいかしら。
それにしても若かりしジャック・スパロウとウィルの息子・ヘンリーがものすごーくそれぞれオリジナルとお父さんに似ていて、そこがいちばんびっくりした。
どちらも顔が生き写しというよりは、声かなあ。
何はともあれ、こんなに時間が経ってまた、POTCの新作を映画館で観られるなんて。とはいえ時は確実に過ぎていて、今回の鑑賞は4DXで。ずっと動いていて、霧が出たり水を浴びたり、完全にアトラクション気分。朝からTDLに行ったみたいだった。
ずいぶんと遊び疲れて、帰ってきてから何もせず、くったりと冷房の効いた部屋で眠ってしまったくらい。
そういえばせっかく買ったポップコーンは、ほとんど食べなかった。たくさんいい映画は観たけれど、ポップコーンがいらないくらい夢中になってしまうなんて、久しぶりだ。
海賊のいる夏は、やっぱりとびきりに楽しい。
髪どめ、あるいは自意識の話
火曜日。月曜日にかけなかった分、今日はエンジンをがんがんかけて、今週の嫌なことは全部終わらせた。はー、がんばった。もう残りの3日はやりたくないけどやらなくちゃならないことが残っていない状態。
その分、朝ごはんもお昼ごはんも晩ごはんも食べ損ねて、こんな時間にジャンクなコンビニめし。むーん。明日はちゃんと3食きちんとその場で調理されたものを食べよう。
家に帰ったら音楽がかかっていたので、TVはつけずに、本を読みながら適当なごはんを食べる。歩いて帰ると、クーラーをかけていない家の中は少し暑い。
食後は、お湯をわかしてコーヒーを淹れて、火曜日にしては上等な夜の使い方。日曜日から読んでいた『夏のレプリカ』を読了。
本を読んでいる間は邪魔になるので、どこで買ったのかわからないピンで前髪を止めていた。
そろそろ切りたいなと思いながらしばらく前髪を伸ばしているので、家ではすぐにピンを使ってしまう。まだぜんぶがしがしまとめてオールバックのポニーテールにするほどは長くないのでとっても中途半端。
このタイプのピンって、わたしがよくピンを使っていた学生時代にはあんまりなかったと思うのだけれど、今はけっこう主流なのね。
こんな造りでとまるのかなあと疑心暗鬼だったけれど、これが意外にしっかりとまってずれたりもしない。
ここ一年くらいでものすごく増えた星モチーフもだけれど、色使いが好き。甘くないカラフルさが気に入っている。(HKT48の『最高かよ』の衣装みたいな感じ)
クリアな素材なところもチープで夏っぽくてかわいい。実際、たしか3coinsとかで買ったんじゃなかったかなあ。
でも、ピンって数あるヘアアクセサリーの中でも、ダントツで女子っぽいアイテムだと思うので、外にはぜったいにしていけない。
色のついたピンを何本もさしてるのとか、こういうモチーフつきのピンって、なんだかすごく「女子っぽい」。ピンをして表に出るくらいなら、キラキラしたカチューシャの方がまだ恥ずかしくないかもしれない。
たぶん、前髪にこだわるのがだいたい10代のときで、そのときに使った(あるいは友達が使っていた)記憶が根強いからなんだろうなあ。
もっと女子っぽいアイテムのリボンのついた髪どめはぜんぜん恥ずかしげもなくつけられるので、刷り込みっておもしろい。
リボンはむしろ女子っぽすぎて10代の頃にはあんまり自分も、まわりもつけていなかったから。
結局人って、8割がた10代のときの刷り込みでできてるのだ。少なくとも、わたしはそう。
そして、わたしの10代でいちばん輝かしかったヘアアクセサリーがピンだったというだけのこと。たぶんリボンがめちゃくちゃ流行ってたら、今気恥ずかしかったのはリボンだと思う。
もっとも、リボンは20代になってから流行ったので、今のところ気恥ずかしさは薄い。
今も、スカーフでできたリボンのヘアゴムでざくざくローポニーにして、PCをぱちぱち打っているけれど、このままコンビニ以上のところにもぜんぜん行ける。
まあスカーフという素材が大人っぽいというのも、おおいにあるけれど。
それにしても、ほんとうにしみじみ家の中がむしむしと暑い。去年の同じ時期の日記を読み返したらもうサマーブランケットに変え、もらった扇風機をいそいそと稼働させていた。
来年の自分がこれを読み返してそろそろ涼を感じる施策を講じているといいけれど、とまで書いてあって笑ってしまう。
扇風機、つけようかなあ。クーラーはもう少しがまんしたいしなあ。
とりあえず、サマーブランケットは昨晩解禁した。そんな6月最後の火曜日。そうか。20代の6月はもうこれが最後なんだな。
Are you a summer girl?
月曜日。しんどくて重い。行ってやるべきことをやっただけでえらかった、の日。
だいたいそれで死ぬほど重い月曜日を過ごすことになるので、今日はほんとうにがんばらない一日で終わって、ちょっと拍子抜けした。
月曜日と金曜日はエンジンをかけ損ねたり、もう止めかけたりしてしまっているので実質フルスロットルで仕事をしているのって3日だけなのかも……。でもそうじゃなきゃ社会人を続けていけないという気もする。
今日は、行きも帰りも昔のブログを読んでいたのだけれど、21歳で考えていたことと今考えていることがぜんぜん変わっていなくて、人の中身というのは、だいたい10代の内に出来上がってしまうんだなあと思う。
最近、「これわたしのことじゃん」と思って買ったノートに当時と同じ形式で紙の日記をつけていたところなので、なおさら懐かしさよりも地続き感を感じる。
今日は久しぶりにきちんと土日とあわせて3日分の3年日記も付けた。
晩ごはんは自炊。奮発していいお肉を買ったのでうきうき。ごはんを少し多めに炊いてその間にお味噌汁やらおかずやらをつくる。
どうしても甘いたまねぎのソテーともやしのソテー両方を食べたかったので、どちらも炒め、ついでに舞茸も炒めてもりだくさんに。塩とわさび醤油とニンニク醤油を用意して、お好みで食べる。
晩ごはんが終わって、iPhoneで2005年のサンマリノを見ていたら、いつのまにかキッチンも含めて、水回りの片付けをすべて恋人がやってくれた。ありがたい。
そして、鬼の衣替えの最後にまで手を付けているのを横目に見ながら、わたしはすっかりきれいに片付いた書斎でごろごろしている。
衣替えは、何週か前の土日に、わたしが8割方やって、ぱたりと飽きて放置していたもの。やらなきゃいけないことの一番めんどくさい部分を残すのが悪い癖なのは、もうずっと前からわかってるんだけどなー。今更変われない。
カビキラーの匂いがするお風呂をちら見して、バスルームでメイクを落としているとなんだかプールの時間みたい。プールにメイクをして行ったことなんてないのに、人の記憶は都合よくねじ曲がるものだ。
そういえば、このカードを壁から剥がそう剥がそうと思っている間に、またこの季節がきてしまった。
夏は疲れるし、生きてるだけでぐったりするし、ちっとも得意なシーズンじゃないのに、「夏の」という言葉だけは涙が出るくらいまぶしい。
君に読む物語
日曜日の夜。眠るまでは日曜日だと思って、今週も少し休日を延長している。
雨が上がった夜は窓を閉め切ってPCを使っていると、もうだいぶ暑くて、アイスが食べたくなるけどそれはがまん。
昨日は土曜日なので、アイスクリームを食べた。わたしはこの数年ですっかり好きになったチョコミント。そして一口もらった今年最初の白くま。練乳の甘さってほんとうに罪。
録っていた『水曜どうでしょう』を見て、『久保みねヒャダ』を見て、『マツコの知らない世界』を見ていたら、そろそろTVを消す? ということになって今は音楽を流している。
雨の匂いがする日はついついかけてしまうノラ・ジョーンズ。
アルバム1枚分聞いたので、ツタプレでリストを選んで流していたら、「かわいい声だなあ」と思う曲がヒラリー・ダフのもので、懐かしくなって昔のはてなダイアリーを開く。
元来、ものすごく自己肯定感が強いので、久しぶりに読み返していたらすごくたのしくなってしまった。
2006年の日曜日にも、「休みに飽きるというのがわからない。一生休んでられる」と綴っていて、ちっとも変っていなくてほっとする。
最初のダイアリーは、ミハエルのF1引退を受けての記事。2006年の10月。もう10年以上前のことだ。
引退までの残り数レースを祈るように、それでいておそろしくハイに見届けているダイアリーが続いて、それと並行してだんだんとジェフリー・バトルにはまっていっているのがわかる。
実際には、ミハエル・シューマッハというレーサーを好きになったのは、2005年のサン・マリノ。ラスト24周。ジェフリー・バトルというフィギュアスケーターを好きになったのは、2005年GPFのEXで彼がポジションについた瞬間。
それを振り返っている記述があって、一気にその瞬間に引き戻される。
そしてちょっとびっくりしたんだけれど、はてなダイアリーのときには1日1記事と自分の中で決めていなかったから、日に何回もカテゴリーを区切って投稿していた。その分、誰かや何かを好きになっていく過程もライブ感があっておもしろい。
わたしはだいたい誰かを好きになる場合、「後から思えばあれば転機だった」というのではなく、「これがきっかけになる」と強く意識しながらその瞬間を見届けるタイプなのだけれど、このふたりを好きになった瞬間のことがリアルに綴られていて、そうそうそうだったよなあと。
忘れていたわけではないのに、びっくりするくらい気持ちがライブに胸の中に戻ってきて、ちょっと新鮮。
気持ちを冷凍保存するには、やっぱりリアルタイムのメモ書きがいちばんだと思う。
子どものときに読んだこの本の、「箇条書きのメモさえ取っておけば、そのとき何があったかはすぐに思い出せる」という一節を、わたしは小学生のときから後生大事に守っているのだけれど、実際人生でいちばん役に立っている学びかもしれない。
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何かあれば、メモ。それだけで、通り過ぎていく時間が、思い出に変わる。
今ここでぜんぶを急いでまとめなくてもいい、反芻すればいいんだというのは、すごく新鮮な気づきだった。
それにしても、ミハエルがまさかこんなことになるなんて、1mmも思っていないころの日記。
もしかしたら、郷愁を誘われるのかななんて思ったら、そんな生易しい感傷ではなく、「ともかく今すぐあのレースをもう一度観たい」という強烈なわくわくが湧き上がってきた。
2006年のレースは何個かDVDに焼いてある。地上波から撤退してしまって以来、すっかりF1を見る習慣がなくなったけれど、今週は棚をひっくり返して、あのDVDをもう一度探して見てみようかなあ。
My SHIBUYA
この間の日曜日、渋谷とは思えないゆったりした時間を、B1Fで過ごした。
天気が悪いわけでもなく、朝早いわけでもないのに、ぽかんとまるでそこだけ違う時空の中に存在するように静かだったFrancfrancカフェ。
お店なのに誰かのおうちにいるような感覚で、それはつまり、わたしたちの年代の「自分の部屋」がそれだけFrancfrancでできているということなんだろう。わたしもひとり暮らしすると決まった時にはうきうきしてFrancfrancを覗いたなあ。
趣味の違う妹と、さあふたり暮らしをするぞというときに覗いたのも、ここだった。
そうやって見つけたもので、今の家までずっといっしょに引越しをしてきているものも、たくさんある。つい最近もちょこちょこと小物を買ったし。
この日も、数年前に買ったシャンプーやコンディショナーのディスペンサーがダメになってしまったので、新調しに行ったのだった。結局、まったく同じものはもう売っていなくて、今度は中身が見えるタイプのやつにした。
詰め替えるという行為がこんなにも親しくなったのは、ここ数年の話だし、こわれてしまったディスペンサーはまさにそのきっかけでもあったので、ちょっとさみしかったのだけれど、やっぱり新しいものはうれしい。
いくつになっても単純なわたし。
そうそう、そして、お会計の際にこのカフェのクーポンをもらい、行こうと思っていたランチのお店が開くのを待つ間、こちらで過ごすことに。
ちょっとだけの滞在だったのがもったいないくらい、快適な空間。カフェラテはもちろんオリジナルのマグで出してくれる。
wi-fiがあり、席によってはコンセントがありというかなり至れり尽くせりな環境で、本を読んだり作業をするにはもってこいの場所。ほんと、なんであんなに空いていたんだろう……?
慌ただしく出て向かったランチのお店が満員で入れなかったので、もっとゆっくりしていけばよかったと思ったくらい。
都会というのは、ふいにそのど真ん中に、こうやってふしぎな静寂スポットがあるからおもしろい。
お昼は何かは食べられるでしょう、ということであっさり方針を変えてヒカリエへ。
ちょうどお昼時だったので、お店に寄ってはおそろしい列ができていたけれど、するりと入れた肉バルで。
お昼からステーキを食べて大満足。パンもおいしかったし、つけあわせのマカロニチーズがなんだか妙にツボだった。
さくっとランチをした後、そのままぷらぷらとショッピング。ウィンドウのつもりだったのだけれど、存外真剣にリュックを探し始めた恋人につきあっている内に、だんだん本気のショッピングに。
おやつの時間くらいまでヒカリエを堪能して、あまり遅くならない内に帰宅した。
18のときの方が渋谷はこわかったなあ、と思う。今は派手なあの街とずいぶん親しくなり、自分が快適に過ごせる場所をすっといくつも思い浮かべることができる。ヒカリエができて大人が増えたことも大きな理由だと思うけれど。
あの春、『蒼の乱』で通って以来、ヒカリエはずっと渋谷でいちばん好きな場所だ。
そろそろ何か舞台も観に行きたいなあと思った、静かな渋谷の一日だった。
土曜日はノスタルジィ
とめどない日々の記録。
去年から、5月から6月にかけてバタバタしていて、気づくとこの時期になってしまう。忙しいというよりは、冒頭の忙しさをぼーっと癒している間に、6月が終わっていくという感じが実情に近い。
ベッドサイドにおいた日記にあわてて過去の日記をつけたり、再読ばかりの読書をしたり。
本格的な夏に向けて、チューニングする時期になりつつある。
外に出ても何をするというわけではなく、コーヒーを飲んでは読書ばかりしているような。
今は、夏の匂いがすると再読したくなる『人形式モナリザ』と『夏のレプリカ』を読んで、珍しくS&Mシリーズの方を読み返しているところ。
珍しくというのは、だいたいこの2冊を読むと、わたしはキャラが好きなVシリーズの方を読み返してしまうので。
持っているS&Mシリーズは、数えてみたら7冊。
『すべてがFになる』/『冷たい密室と博士たち』/『詩的私的ジャック』/『封印再度』/『夏のレプリカ』/『数奇にして模型』/『有限と微笑のパン』
『冷たい密室~』と『数奇~』と『有限~』の3冊は今年の6月に買い足したもの。
大学の話というのが読みたくて、『冷たい密室』を読んだらその空気感にずっとひたっていたくなった。でも、いざ読み返してみると、意外と大学外の話が多くて驚いている。
買い足したものをシリーズ順に読んで、この1週間くらいだらだらと最終巻の『有限と微笑のパン』を再読中。
このお話の舞台って、長崎だったのかー。いろんなことを覚えているようで、すっかり忘れているなあ。
このver.の装丁が好きなので、すべて買い直したい気分。今、家にあるのは『Fになる』と『詩的私的ジャック』が初代装丁の文庫、『封印再度』と『夏のレプリカ』がノベルスとばらばらもいいところ。
最初に通読したのは、まさに大学に通っていた時期で、はじめて一人暮らしをした街の図書館に揃えられていた講談社ノベルスでだった。
二段組の本の方が速く読めるのは、たぶんあの時期に山ほどその図書館でノベルスを読んだからだと思う。
懐かしいなあ。
昨日は一日ずっと、萌絵の「人って結局、自分のことで泣くのだ」(あいまい)というモノローグを思い出していた。
『冷たい密室と博士たち』は、The Pie Hole L.A.*1で、メキシカンチョコレートパイのスライスを食べながら読了。
スパイスが入っていて、パイ生地もざっくりとした甘みがないもので、とっても大人なチョコレートパイ。上に載っているチョコレート風味のたっぷりしたホイップもほとんど甘くない。
どちらかとタルトに近いような食感の土台だったけれど、一口もらった別のパイはいかにも! なパイ生地でそちらの方がより、塩気を感じる後味だった。
TVからはPOTC2が流れてきて、なんだかノスタルジックな土曜日。3のウィル・ターナーというキャラの落としどころがほんっとうに納得できなくて、むしろ出てこない4の方が何度も見返しているくらいなので、2も久しぶりに見る。
とはいえ、1は人生ではじめて3回も映画館で観た作品で、2は同じく人生ではじめて映画館に並んで入って観た作品で、3も公開初日に映画館で観た自分の中では記念碑的な作品の新作はやっぱりたのしみ。
5はウィルも出てくるらしいので、3をもう一度見直したくなる消化の仕方をしていてほしいなあ。
晩ごはんは結局、チキンの煮込みを食べた。トマトに茄子にほうれん草、舞茸にピーマンに、アスパラは贅沢にグリーンとホワイトを両方。たっぷりの野菜とお肉だけでおなかいっぱいになったので炭水化物はなし。
そろそろ妹からもらったキアヌを使ってみなくちゃ、と思いながら、とりあえず今は水出しのアイスティーが出来上がるのを待っている。
No Title
いろいろハプニングはあったりしたけれど、いつも通りの土曜日の夕方に収束しつつある。
金曜日は早めに上がって、外でごはんを食べて、家に帰った。そんなにハードな1週間ではなかったのに、帰ったら日付が変わるくらいにすとんと眠ってしまって。
夜中に何度か起きていた体調の悪そうな恋人に冷えぴたを貼って、わたしは洗濯ものを片付けたり、換気をしたり。
ベッドのヘッドボードに飾っていた淡いブルーの花がすっかり枯れてしまっているのに気付いて、1週間が経ったんだな、と思う。
それにしても、1か月前と違って、あっという間に花が枯れてしまうようになった。
もう夏なんだなぁ。そういえば、先日仕事中にWebを見ていたら、「今日は夏至です」と書いてあってびっくりしたっけ。
眠ったり、起きたりを繰り返しながら、土曜日が過ぎていく。
お昼は、昨日から無性に食べたかったたまごサンド。晩ごはんはもうこんな時間だけれどどうしようかなあ、と思いる。
おそうめん、というリクエストはもらっているのだけれども。
昨日のお昼からなんだかぼんやりとしている。小さい頃、TVの中で訃報が流れるたびに、父や母が「同い年くらいなのに」と嘆いていたときの気持ちが、ようやくわかった気がする。
それにしても、まだぜんぜん、そんなのわかりたくなかった。
同じく命にかかわる病を、あの報道の後に宣告されていた身近な人間を、結局、彼女より先に見送ったものの一人として、ほんとうに寂しく辛いニュースだった。
どうか、今はただ安らかでありますように。ご冥福をお祈りいたします。