Are you a summer girl?
月曜日。しんどくて重い。行ってやるべきことをやっただけでえらかった、の日。
だいたいそれで死ぬほど重い月曜日を過ごすことになるので、今日はほんとうにがんばらない一日で終わって、ちょっと拍子抜けした。
月曜日と金曜日はエンジンをかけ損ねたり、もう止めかけたりしてしまっているので実質フルスロットルで仕事をしているのって3日だけなのかも……。でもそうじゃなきゃ社会人を続けていけないという気もする。
今日は、行きも帰りも昔のブログを読んでいたのだけれど、21歳で考えていたことと今考えていることがぜんぜん変わっていなくて、人の中身というのは、だいたい10代の内に出来上がってしまうんだなあと思う。
最近、「これわたしのことじゃん」と思って買ったノートに当時と同じ形式で紙の日記をつけていたところなので、なおさら懐かしさよりも地続き感を感じる。
今日は久しぶりにきちんと土日とあわせて3日分の3年日記も付けた。
晩ごはんは自炊。奮発していいお肉を買ったのでうきうき。ごはんを少し多めに炊いてその間にお味噌汁やらおかずやらをつくる。
どうしても甘いたまねぎのソテーともやしのソテー両方を食べたかったので、どちらも炒め、ついでに舞茸も炒めてもりだくさんに。塩とわさび醤油とニンニク醤油を用意して、お好みで食べる。
晩ごはんが終わって、iPhoneで2005年のサンマリノを見ていたら、いつのまにかキッチンも含めて、水回りの片付けをすべて恋人がやってくれた。ありがたい。
そして、鬼の衣替えの最後にまで手を付けているのを横目に見ながら、わたしはすっかりきれいに片付いた書斎でごろごろしている。
衣替えは、何週か前の土日に、わたしが8割方やって、ぱたりと飽きて放置していたもの。やらなきゃいけないことの一番めんどくさい部分を残すのが悪い癖なのは、もうずっと前からわかってるんだけどなー。今更変われない。
カビキラーの匂いがするお風呂をちら見して、バスルームでメイクを落としているとなんだかプールの時間みたい。プールにメイクをして行ったことなんてないのに、人の記憶は都合よくねじ曲がるものだ。
そういえば、このカードを壁から剥がそう剥がそうと思っている間に、またこの季節がきてしまった。
夏は疲れるし、生きてるだけでぐったりするし、ちっとも得意なシーズンじゃないのに、「夏の」という言葉だけは涙が出るくらいまぶしい。
君に読む物語
日曜日の夜。眠るまでは日曜日だと思って、今週も少し休日を延長している。
雨が上がった夜は窓を閉め切ってPCを使っていると、もうだいぶ暑くて、アイスが食べたくなるけどそれはがまん。
昨日は土曜日なので、アイスクリームを食べた。わたしはこの数年ですっかり好きになったチョコミント。そして一口もらった今年最初の白くま。練乳の甘さってほんとうに罪。
録っていた『水曜どうでしょう』を見て、『久保みねヒャダ』を見て、『マツコの知らない世界』を見ていたら、そろそろTVを消す? ということになって今は音楽を流している。
雨の匂いがする日はついついかけてしまうノラ・ジョーンズ。
アルバム1枚分聞いたので、ツタプレでリストを選んで流していたら、「かわいい声だなあ」と思う曲がヒラリー・ダフのもので、懐かしくなって昔のはてなダイアリーを開く。
元来、ものすごく自己肯定感が強いので、久しぶりに読み返していたらすごくたのしくなってしまった。
2006年の日曜日にも、「休みに飽きるというのがわからない。一生休んでられる」と綴っていて、ちっとも変っていなくてほっとする。
最初のダイアリーは、ミハエルのF1引退を受けての記事。2006年の10月。もう10年以上前のことだ。
引退までの残り数レースを祈るように、それでいておそろしくハイに見届けているダイアリーが続いて、それと並行してだんだんとジェフリー・バトルにはまっていっているのがわかる。
実際には、ミハエル・シューマッハというレーサーを好きになったのは、2005年のサン・マリノ。ラスト24周。ジェフリー・バトルというフィギュアスケーターを好きになったのは、2005年GPFのEXで彼がポジションについた瞬間。
それを振り返っている記述があって、一気にその瞬間に引き戻される。
そしてちょっとびっくりしたんだけれど、はてなダイアリーのときには1日1記事と自分の中で決めていなかったから、日に何回もカテゴリーを区切って投稿していた。その分、誰かや何かを好きになっていく過程もライブ感があっておもしろい。
わたしはだいたい誰かを好きになる場合、「後から思えばあれば転機だった」というのではなく、「これがきっかけになる」と強く意識しながらその瞬間を見届けるタイプなのだけれど、このふたりを好きになった瞬間のことがリアルに綴られていて、そうそうそうだったよなあと。
忘れていたわけではないのに、びっくりするくらい気持ちがライブに胸の中に戻ってきて、ちょっと新鮮。
気持ちを冷凍保存するには、やっぱりリアルタイムのメモ書きがいちばんだと思う。
子どものときに読んだこの本の、「箇条書きのメモさえ取っておけば、そのとき何があったかはすぐに思い出せる」という一節を、わたしは小学生のときから後生大事に守っているのだけれど、実際人生でいちばん役に立っている学びかもしれない。
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何かあれば、メモ。それだけで、通り過ぎていく時間が、思い出に変わる。
今ここでぜんぶを急いでまとめなくてもいい、反芻すればいいんだというのは、すごく新鮮な気づきだった。
それにしても、ミハエルがまさかこんなことになるなんて、1mmも思っていないころの日記。
もしかしたら、郷愁を誘われるのかななんて思ったら、そんな生易しい感傷ではなく、「ともかく今すぐあのレースをもう一度観たい」という強烈なわくわくが湧き上がってきた。
2006年のレースは何個かDVDに焼いてある。地上波から撤退してしまって以来、すっかりF1を見る習慣がなくなったけれど、今週は棚をひっくり返して、あのDVDをもう一度探して見てみようかなあ。
My SHIBUYA
この間の日曜日、渋谷とは思えないゆったりした時間を、B1Fで過ごした。
天気が悪いわけでもなく、朝早いわけでもないのに、ぽかんとまるでそこだけ違う時空の中に存在するように静かだったFrancfrancカフェ。
お店なのに誰かのおうちにいるような感覚で、それはつまり、わたしたちの年代の「自分の部屋」がそれだけFrancfrancでできているということなんだろう。わたしもひとり暮らしすると決まった時にはうきうきしてFrancfrancを覗いたなあ。
趣味の違う妹と、さあふたり暮らしをするぞというときに覗いたのも、ここだった。
そうやって見つけたもので、今の家までずっといっしょに引越しをしてきているものも、たくさんある。つい最近もちょこちょこと小物を買ったし。
この日も、数年前に買ったシャンプーやコンディショナーのディスペンサーがダメになってしまったので、新調しに行ったのだった。結局、まったく同じものはもう売っていなくて、今度は中身が見えるタイプのやつにした。
詰め替えるという行為がこんなにも親しくなったのは、ここ数年の話だし、こわれてしまったディスペンサーはまさにそのきっかけでもあったので、ちょっとさみしかったのだけれど、やっぱり新しいものはうれしい。
いくつになっても単純なわたし。
そうそう、そして、お会計の際にこのカフェのクーポンをもらい、行こうと思っていたランチのお店が開くのを待つ間、こちらで過ごすことに。
ちょっとだけの滞在だったのがもったいないくらい、快適な空間。カフェラテはもちろんオリジナルのマグで出してくれる。
wi-fiがあり、席によってはコンセントがありというかなり至れり尽くせりな環境で、本を読んだり作業をするにはもってこいの場所。ほんと、なんであんなに空いていたんだろう……?
慌ただしく出て向かったランチのお店が満員で入れなかったので、もっとゆっくりしていけばよかったと思ったくらい。
都会というのは、ふいにそのど真ん中に、こうやってふしぎな静寂スポットがあるからおもしろい。
お昼は何かは食べられるでしょう、ということであっさり方針を変えてヒカリエへ。
ちょうどお昼時だったので、お店に寄ってはおそろしい列ができていたけれど、するりと入れた肉バルで。
お昼からステーキを食べて大満足。パンもおいしかったし、つけあわせのマカロニチーズがなんだか妙にツボだった。
さくっとランチをした後、そのままぷらぷらとショッピング。ウィンドウのつもりだったのだけれど、存外真剣にリュックを探し始めた恋人につきあっている内に、だんだん本気のショッピングに。
おやつの時間くらいまでヒカリエを堪能して、あまり遅くならない内に帰宅した。
18のときの方が渋谷はこわかったなあ、と思う。今は派手なあの街とずいぶん親しくなり、自分が快適に過ごせる場所をすっといくつも思い浮かべることができる。ヒカリエができて大人が増えたことも大きな理由だと思うけれど。
あの春、『蒼の乱』で通って以来、ヒカリエはずっと渋谷でいちばん好きな場所だ。
そろそろ何か舞台も観に行きたいなあと思った、静かな渋谷の一日だった。
土曜日はノスタルジィ
とめどない日々の記録。
去年から、5月から6月にかけてバタバタしていて、気づくとこの時期になってしまう。忙しいというよりは、冒頭の忙しさをぼーっと癒している間に、6月が終わっていくという感じが実情に近い。
ベッドサイドにおいた日記にあわてて過去の日記をつけたり、再読ばかりの読書をしたり。
本格的な夏に向けて、チューニングする時期になりつつある。
外に出ても何をするというわけではなく、コーヒーを飲んでは読書ばかりしているような。
今は、夏の匂いがすると再読したくなる『人形式モナリザ』と『夏のレプリカ』を読んで、珍しくS&Mシリーズの方を読み返しているところ。
珍しくというのは、だいたいこの2冊を読むと、わたしはキャラが好きなVシリーズの方を読み返してしまうので。
持っているS&Mシリーズは、数えてみたら7冊。
『すべてがFになる』/『冷たい密室と博士たち』/『詩的私的ジャック』/『封印再度』/『夏のレプリカ』/『数奇にして模型』/『有限と微笑のパン』
『冷たい密室~』と『数奇~』と『有限~』の3冊は今年の6月に買い足したもの。
大学の話というのが読みたくて、『冷たい密室』を読んだらその空気感にずっとひたっていたくなった。でも、いざ読み返してみると、意外と大学外の話が多くて驚いている。
買い足したものをシリーズ順に読んで、この1週間くらいだらだらと最終巻の『有限と微笑のパン』を再読中。
このお話の舞台って、長崎だったのかー。いろんなことを覚えているようで、すっかり忘れているなあ。
このver.の装丁が好きなので、すべて買い直したい気分。今、家にあるのは『Fになる』と『詩的私的ジャック』が初代装丁の文庫、『封印再度』と『夏のレプリカ』がノベルスとばらばらもいいところ。
最初に通読したのは、まさに大学に通っていた時期で、はじめて一人暮らしをした街の図書館に揃えられていた講談社ノベルスでだった。
二段組の本の方が速く読めるのは、たぶんあの時期に山ほどその図書館でノベルスを読んだからだと思う。
懐かしいなあ。
昨日は一日ずっと、萌絵の「人って結局、自分のことで泣くのだ」(あいまい)というモノローグを思い出していた。
『冷たい密室と博士たち』は、The Pie Hole L.A.*1で、メキシカンチョコレートパイのスライスを食べながら読了。
スパイスが入っていて、パイ生地もざっくりとした甘みがないもので、とっても大人なチョコレートパイ。上に載っているチョコレート風味のたっぷりしたホイップもほとんど甘くない。
どちらかとタルトに近いような食感の土台だったけれど、一口もらった別のパイはいかにも! なパイ生地でそちらの方がより、塩気を感じる後味だった。
TVからはPOTC2が流れてきて、なんだかノスタルジックな土曜日。3のウィル・ターナーというキャラの落としどころがほんっとうに納得できなくて、むしろ出てこない4の方が何度も見返しているくらいなので、2も久しぶりに見る。
とはいえ、1は人生ではじめて3回も映画館で観た作品で、2は同じく人生ではじめて映画館に並んで入って観た作品で、3も公開初日に映画館で観た自分の中では記念碑的な作品の新作はやっぱりたのしみ。
5はウィルも出てくるらしいので、3をもう一度見直したくなる消化の仕方をしていてほしいなあ。
晩ごはんは結局、チキンの煮込みを食べた。トマトに茄子にほうれん草、舞茸にピーマンに、アスパラは贅沢にグリーンとホワイトを両方。たっぷりの野菜とお肉だけでおなかいっぱいになったので炭水化物はなし。
そろそろ妹からもらったキアヌを使ってみなくちゃ、と思いながら、とりあえず今は水出しのアイスティーが出来上がるのを待っている。
No Title
いろいろハプニングはあったりしたけれど、いつも通りの土曜日の夕方に収束しつつある。
金曜日は早めに上がって、外でごはんを食べて、家に帰った。そんなにハードな1週間ではなかったのに、帰ったら日付が変わるくらいにすとんと眠ってしまって。
夜中に何度か起きていた体調の悪そうな恋人に冷えぴたを貼って、わたしは洗濯ものを片付けたり、換気をしたり。
ベッドのヘッドボードに飾っていた淡いブルーの花がすっかり枯れてしまっているのに気付いて、1週間が経ったんだな、と思う。
それにしても、1か月前と違って、あっという間に花が枯れてしまうようになった。
もう夏なんだなぁ。そういえば、先日仕事中にWebを見ていたら、「今日は夏至です」と書いてあってびっくりしたっけ。
眠ったり、起きたりを繰り返しながら、土曜日が過ぎていく。
お昼は、昨日から無性に食べたかったたまごサンド。晩ごはんはもうこんな時間だけれどどうしようかなあ、と思いる。
おそうめん、というリクエストはもらっているのだけれども。
昨日のお昼からなんだかぼんやりとしている。小さい頃、TVの中で訃報が流れるたびに、父や母が「同い年くらいなのに」と嘆いていたときの気持ちが、ようやくわかった気がする。
それにしても、まだぜんぜん、そんなのわかりたくなかった。
同じく命にかかわる病を、あの報道の後に宣告されていた身近な人間を、結局、彼女より先に見送ったものの一人として、ほんとうに寂しく辛いニュースだった。
どうか、今はただ安らかでありますように。ご冥福をお祈りいたします。
日曜日の音
日曜日。
お昼過ぎに唐突に家にいるのに飽きて、あてもない散歩に出た。
Tシャツにマキシスカートというのんきな格好で、すぐ帰るつもりだったので、日焼け止めもぬらずにふらふらと。
ストッキングを穿かないサンダルの足元はものすごく涼やか。そろそろビーチサンダルを出してもいいころかしら、と思う。
白と黒のボーダーのビーチサンダルは、数年前にサマーランドに行ったときに買ったもので、イエロー1色のものも気に入っていたのに、いつのまにかどこかへ行ってしまった。
どこかへ行ってしまったと言うのも変なもので、もう親に勝手に持ち物を処分されることもないのだから、自分で始末したのだろうけれど、ちっとも覚えていない。
ベランダ履きにして汚れてしまったから、引越しのときに処分したのだっけ。
外に出てみると、お昼にピーマンの肉詰めをつくった余波で、部屋の中がずいぶんむっとしていたのがわかる。昨晩の残りのごはんをおにぎりにして、昨夜出し損ねた冷やしトマトも出して、なんだかお弁当みたいなお昼ごはん。
わたしは休日にそういうごはんを食べるのが好きだ。それも快適な家の中で。おにぎりを食べたくなるのもだからたいてい休日だ。
ピーマンの肉詰めは、母の得意料理でわたしたち姉妹はこの料理でピーマンのことを好きになった。
なぜかいちばん最初に自分で作れるようになったレシピが、サバイバル料理の本に載っていた「ピーマンのじゃこ炒め」だったり、もともと特にピーマンが苦手だったわけではないのだけれど、でも好きになったのは間違いなくこの料理のおかげ。
ふつうのハンバーグよりもこっちの方が、家でしか食べられないので、むしろうれしかったくらい。
それにしても、ピーマンのじゃこ炒めの何がサバイバル料理だったんだろう……。
表に出ると、雲が多いけれどきれいな青が広がっていた。夏のような空なのに、暑過ぎないのでとても歩きやすい。
何度も歩いたことがある方向へ、いつもとはちがう道をたどって進む。細い道を歩くと東京でも人がちゃんと生活していて、上京してもう十年が経つのに、毎度毎度そのことにびっくりする。
歩きながら大きく伸びをして、さっきまでめがねをかけていた眉間を揉んだら、肩の凝りもすうっと空へ溶けていく気がした。
ぶらぶら歩いて、新しいお店を発見したり。
そういうのもたのしいのだけれど、ただ歩いているときにしか話せないことってあるなあ、と思う。特に重大なことではない、ささいなこと。でも、今すごく話したいなあということ。
その癖、そういうときいつも、ソ連に生きる主人公が「密談は公園でするに限る」と言っていた物語の一節を思い出す。
あれはなんの話だったっけ。映画だったのか小説だったかのか、それともまんがだったのか。
家を出るまで読んでいた小説にコーヒーが出てきたので、最後にスターバックスによって、なぜかコーヒーではなくティーフラペチーノを買って帰ってきた。
クラシックティークリームフラペチーノ。思いのほかしっかり紅茶の味がして、甘すぎずおいしい。
結局、コーヒー欲は、家で先週買ったライオンの絵のついたコナコーヒーを淹れて満たし、ピンク色のドーナツをかじりながら、ぱらぱらと読書をした。
昨晩録りためていた『僕だけがいない街』のアニメを今更一気見して非常に満足してしまったので、中途半端なものを見る気持ちにもなれず、TVはつけたり消したり。でも、あんまり読書もはかどらず、なんだかぼんやりした日曜日。
洗濯ものを土日両方回したし、しっかり自炊もして、洗い物もきちんとしたし、部屋も少し片付けた。結局帰ってきて換気もしたし、ウォーターサーバーの水も換えたし。
遊びに行きたい遊びに行きたいと思う気持ちと同じくらいの強さで、こういう当たり前のことを当たり前にする休日を求めているんだなあと思う。
晩ごはんは、昨日のロールキャベツで使い切れなかったキャベツをつかって、てんぷら粉でお好み焼きを焼いた。お好み焼き粉の賞味期限が豪快に切れていたのでやむをえず……だったのだけれど、意外となんとでもなるもんだなあ。
子どものころ、お好み焼きといえば日曜日のごはんだった。それも、家で作ることはほぼなく、いつも同じお店で外食と決まっていた。
たくさんマンガが置いてあるお店で、わたしはそこではじめて『金田一少年の事件簿』を知ったんだと思う。それから、『20世紀少年』を。他にも、そのお店でわたしはいろんな少年マンガと出会った。
父がじゅうじゅう音を立ててお好み焼きを焼いてくれるのを聞きながらだったら、あんなに不穏な金田一のお話も、ぜんぜん怖くなかったなあ。
焼き上がる前になんとかがんばって1巻読もうとして、それで、本を読むスピードが速くなったような気すらする。
ぱちぱちとソースとマヨネーズのはぜる音。青のりをふんだんにふる父の「もうすぐできるよ」の声と、青のりを嫌がる母のクレームの声。となりで同じように夢中で漫画をめくっている妹の真剣な横顔。
お好み焼きを焼く音には、守られていた平和な日曜日の名残がある。
来週が終われば、お互いに何の予定もない週末がしばらく広がっているけれど、無理に予定を作らず、こんな風にのどかな日曜日を過ごすのもいいなあという気がした。
理由のないアルコール
今年のGWは、たくさんではないけれど、ちょくちょくお酒を飲んだ。ビールとか、カクテルとか、ハイボールとか、いろいろな種類をちょっとずつ。
例年とちょっとちがうのは、家に何本かボトルがあるということ。宅飲みがあるわけでもないのに、お酒を買うこと自体が珍しい。それもビールやワイン以外のものを。
一度、いやいや飲み切れないでしょう、とスル―したメーカーズマークも、結局3日目にボトルのかわいさに負けて買った。
もともとウイスキーは外で飲むときにも好きなお酒のひとつで、すぐにダメになるものでもないし、いいかな! と。
蝋が溶けたようなデザインで封がされていて、ラベルまでしっかりかわいい。ロゴの書体もかわいいなあ。しばらく眺めて、えいやっと蓋を開けたら、蝋のデザインはそのままちゃんと残って、二度うれしかった。
そのままロックで飲んだり、あっさりとソーダで割ったりもしたけれど、いちばんのヒットは断然、アイスクリームにかけること。
これがもう、ほんとうに悪魔的においしくて! アイスクリームを買う時にバニラを選ぶことって、今まではほとんどなかった。でも、この食べ方をして以来、ついついバニラフレーバーを選んでしまう。
チョコ系でもおいしいし、バニラならなんでもいいくらいおいしくなるのだけれど、でもやっぱりハーゲンダッツのバニラだと格別。
完全に悪い贅沢な夜の味がする。こっくりしたお酒の色もとてもきれい。
天気が良かった日にはもっとさわやかに、昼間っから、水のように透明なライチのお酒を飲んだ。
青い小説を読みながら、ロックですっきりと。
読んだのは、10代のころに全集の中に入っているのを読んだっきりだった、ずいぶんと懐かしい小説。時の流れにびっくりする。
そして再読して、記憶していたのとはまったくちがうお話だったことにまたびっくり。こんなあらすじだったっけ、と。おそらく別の作品と混同しているのだろうけど、それが何かは思い出せず。何だったんだろう?
戸惑いながら読んでいたら、昔どこかで読んで人生訓のようになっている一文にとつぜんぶつかって、三度驚いたり。
嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ
こちらこちらで、ぜんぜんちがう小説の一節だと思い込んでいたのだからおもしろい。
自分を作っているものというのはたくさんあって、そのどれもで、わたしは割にはっきり覚えているとばかり思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしいということが最近ぽろぽろ出てくる。
でも、そういう勘違いをひとつひとつ正しい記憶に戻していくのも、また心たのしい。
お酒を飲んだり、コーヒーを飲んだりしながら、少しずつ。
ビールをいつ好きになったのかは、はっきり覚えていないけれど、ウイスキーを好きになったのは20代最後の5月だとしっかり覚えていよう。
バニラアイスクリームを好きになったのは、メーカーズマークをかけて食べた休日の午後3時だということも。
大人になって好きになったものは、子どものころと違って、好きになった理由が自分の中でとても明白だ。だから、決して失わない気がして、その分安心して好きでいられる気がする。
お酒はこうやって打ち上げでも、憂さ晴らしでもなく単に休日を祝うためだけに飲むのがいちばんたのしいなあ。